「物の廃棄・崩壊を前にしての『経験』とは?」-ゴミ収集の現場から-(2)

 私たちにはゴミが収集され、どれだけの総量となり、それがどうエネルギー資源になったり、自然環境に影響を及ぼしたり、ゴミ減量化が実現しつつあるかという事をめぐり、確実ではなく不確実な見通ししか与えられていません。どこかに定まった基準があるわけではないのです。しかしそれでも収集者、住民が協力して「ゴミ」を何らかの形で扱わねばならないという時、以下に書くような無線ICタグの使用は有意義な面があるかもしれません。
 そしてその結果として、自分達の先の見通しのなさを、それぞれの 具体的なゴミ収集データの結果によって乗り越え、それぞれの行動の在り方を見出すという時、「経験的」という言葉の意味は、変容を遂げる可能性があります。
 「物」が廃棄され崩壊し、生成していくプロセスでの不確実性を、個々人のゴミの循環を語り、正確に捉えることが出来る中で、例えばゴミ収集人の、ゴミの性質、量への「カン」、ゴミを分けてしかるべき、というような「経験者」としての「立場」よりも、むしろそうした「経験」からの知ではないが、廃棄・崩壊と生成プロセスそのものの数値に頼るという時、数学的自然科学と「経験的」とはどういう事かが具体的かつ、抽象理念的にも考えられなければなりません。それを以下のゴミ分別とその事によるゴミ減量についての可能性から考えてみる事は出来るでしょうか?

さて今、上に挙げた問題を、以上に書いたように、私は無線ICタグをゴミ袋に取り付ける事で、ゴミの位置、中身をゴミ収集者、住民及びその方達で作る自治体で情報共有可能にし(そうした事を選択制の有料でする中で)、ゴミ減量を推進する事と、そこから考え得る「経験的」という事とを、東浩紀さんの(『東京から考える』〈NHK出版、2007年〉での)ご意見を参考に考えてみました。
即ちそのタグ付けにより、ゴミから個人情報が盗まれたり、ゴミを不法業者に持っていかれたりしない様な監視を可能にし、又24時間ゴミを出せる様にもする。しかしその代わり、誰がどういうゴミを出しているかをはっきり分かる様にし、分別の指導情報も、収集者と住民、及び自治体内で共有出来るようにする。
無論、無料ゴミ回収も続けつつ、そうした選択性の有料ゴミ収集で、ゴミ分別とその指導の徹底を図り、その事でゴミ減量を推進するようにする。
言わば先述のゴミ出しをめぐるリスクの減少と24時間ゴミ出し可能を交換条件に、住民のゴミの分別推進、更にはゴミ減量を実現する訳です。

ここで問題は、自分のゴミについての情報を他人(収集者、町内会も含めた)と共有するという、場合によっては煩わしいと思える事を伴っても、無線ICタグを付ける事を、どれだけの人間が受け入れるかだと思われます。
24時間ゴミを出せて、ゴミ分別の指導を受けられる、更に言えばゴミ分別を一緒にプロの収集者と協力して行う。その権利を住民が持つ。
個人情報が自分の家族以外にも広まってもそれをする。

本当に実際の人間はそう動いてくれるだろうか?極めて少数しかそうは動いてくれないなどという事はないだろうか?そういう問題が浮かんできます。
ICタグで、ゴミの細かい中身、容量まで分かるように出来るのだろうか?出来たとして、その事を様々な主体に共有する事に、多くの方が違和感、抵抗感を持たないだろうか?
そんな不安がすぐにもたげてくるのです。

ここで私が、上で提起した問題についてもう少し考えてみれば、どのゴミ(袋)がどこへ行ったか、無線ICタグを付けて分かるようになるという事は、そのゴミによってどれだけの再生エネルギーが得られたかを、分析的に割り出せる(解析出来る)ようになる事を意味し、その分のエネルギーを数値的に「供給」出来るようになる事をも意味するのではないのか?この事を上述の問題の解決の糸口に出来ないか?そう思えてきます。
それはゴミを扱うだけではなく、ゴミについての「数値」とそれに伴うリニアな時間を扱う「経験」が日常生活に参入してくる事を意味します。
そしてその供給が無償で、あるいはポイント式で行われるようになったら良いと思うのですが、どうでありましょう?
例えばアナタは10ポイント分、再生エネルギー醸成に協力して下さったから、コレコレこれだけの電力を支給します、となる。
即ち、ちゃんとゴミ分別すれば、その分別されたゴミで、これだけの数量、電気代、ガス代がお得になりますよ、というのが明示されれば、多くの人が有料制であっても、無線ICタグ付けゴミ収集に賛同し協力して下さるのではないか?
もう一度言い直せば、或る住民さんのゴミの中身と運ばれた先、再生利用のされ方が、無線ICタグによって、かなりの正確さで追跡調査出来るかもしれない事を利用するという事であります。
勿論、収集者による啓発によって、損得勘定を超えた市民1人1人の倫理を改善する事でゴミ分別をして頂く事の大切さから、我々は片時も離れてはなりません。
しかし、せっかく科学的・技術的革新で人々の損得勘定にある程度寄り添う中での、ゴミ分別とその事でのゴミ減量を検討する事も有意義ではないか?
そういう公的協同体を作る事は可能でしょうか?

してみれば、ゴミの中身の(科学的な)解析度の精度の上昇によって、或るエネルギー再生のマシーンでの再生度の測定の信頼度が変わってきます。
その信頼度を最大限に上げつつ、このゴミから、これだけの再生度、と数値化出来るようにする。その科学技術精度によって、更にはその事を正確に理解して、常に住民様にそれを説明する事によって、ゴミ分別率を上げて頂く。
そして結果的にゴミ減量を成し遂げる。

こうした事は可能かどうか?
そこに「経験的」である事はどう作用するのか?
もう少し考えてみたいと思います。