「NHK 大河ドラマ『角栄とミシマ』企画をめぐって」・増備改訂版


いつものブログでの研究とは別に、新春お正月三が日番外編として、以下の大河ドラマ企画を提起させて頂きます。「生命」と「魂」に関わるテーマの企画である故に、この、「生命体」についてのブログに無縁ではないからであります。

戦国時代と明治維新を往復ばかりしているNHK大河ドラマに飽き飽きしている私は、田中角栄三島由紀夫を、38歳で夭折したルポライター児玉隆也の視点で比較対照的に描き切る現代物の大河ドラマ企画を考えております。

仮題は『角栄とミシマ』。
(ミシマをカタカナにするのは、「三島」だと、地名としての静岡県三島と勘違いする方が出てくる気がするからです。)

現代もの大河として田中角栄さんを取り上げたらどうか、西田敏行さんが角栄を演じたいと仰っておられたし、という私の話に、 私の優秀な知人のNさんが、そこに三島由紀夫さんを対照的にもってくるという提案をして下さって、それは面白いと思った私は、そこからインスピレーションを広げている次第です。
主たるモチーフとなる時代は、「226事件」のあった1936年から「ロッキード事件」のあった1976年の40年間。
その時代の大きな歴史の渦の中で、角栄さんと三島さんの人生が交錯します。
第二次世界大戦後の戦後社会において、日本を真の姿に戻す、という事を考えつつ、全くベクトルの異なる方向を向いている2人は、どこで重なり、どこで別れるのか?
日本列島改造論』(田中角栄著、1972年、日刊工業新聞社)と自衛隊についての「改憲」。
土建屋」的に、即ち「物」の視点からの「改造」と、大和魂的な「心」の視点からの「改革」(以下の自決直前の三島さんの文言での「魂」等を参照)。
この「物と心」の視点は、どう重なり、どうズレるのか?そしてそれはなぜなのか?
又、そもそも両者の視点の内実に欠陥はないのか?あるとしたらその欠陥をどう補うのか?
「死」への、あるいは「死」からの視点において。

こうした事を、大河ドラマで1年間かけてじっくりと描きます。
そこに1937年に生まれ、1975年に亡くなった児玉隆也さんのパーソナルヒストリーの視点が重なります。
児玉さんは、三島由紀夫さんの友人であり、三島さんを人生の師と仰いでいました。
一方で児玉さんは、田中角栄さんの金権政治を告発する為の「淋しき越山会の女王」を執筆、1974年に発表。

因みに1970年に三島由紀夫さんが、自衛隊市ヶ谷駐屯地で切腹された正にその日の夜に、児玉さんは田中角栄さんと赤坂の料亭で会い、田中角栄周辺について調べた事を公にして良いかを角栄さんに問い、拒まれます。しかし、その4年余り後に、その時に握り潰された取材成果は雑誌『文藝春秋』に、立花隆さんの「田中角栄研究」と共に上述の「淋しき越山会の女王」というタイトルで公表されます。そして、それは角栄首相退陣の引き金になります。
一方で経済的(即ち「食べる「物」、住む土地、家等の「物」についての)に貧しい青少年期を送った児玉さんは、同じような経済的、「物」質的貧しさを青少年期に経験している角栄さんに共感と愛情をも持っています。同時に、繰り返しますが、児玉さんは親交のあった三島由紀夫さんを尊敬していました(三島さんは、それなりに裕福な家庭に生まれ育ち、「物」質的にはおそらくは不自由しない青少年期を送られたのか?その上で、大和「魂」という「心」の問題の改造を強く希求したのか?という視点もドラマには盛り込みます)。

その児玉さんは、上述の「淋しき越山会の女王」発表からそれほど時を経ずして(7カ月程後に)、ガンで亡くなります。
ドラマでは、ガン病棟で自らの「生命」と死に向き合い、自らの子供の為に延命(自らの「生命」を延ばす事)を望む児玉さんが、三島さんが自決直前に叫んだ文言である、
「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ」
を、しばしば追想し、葛藤します。
ここで参照するのは、児玉さんの著書『ガン病棟の九十九日』(1980年、新潮社)〈以下、『99』と記す〉には、「生命」や「生きる」という言葉、「5年」という年月が出てくる事です。
即ち児玉さんは
「神様、せめてあと二十年ほどの生命を下さい」と願う。
あるいは「・・・癌を病む前と後で、私の中に明らかに変わった点が一つあり、それは神様という言葉を知ったことだ。」とした上で、
「入院した病院のトイレにあった『神様、私の癌を治してください』」との落書きを書いた「癌患者の生命に、”神様”はどんな匙加減をお与えになっただろう」とやはり「生命」という言葉を出す。
更には「おそらくこの先、腹が痛むといっては癌、頭が重いといっては癌ーの転移ではないかと、薄氷を踏む思いの五年間(うまく生きれば)であろう。」と、自らのこれからの五年間の生命を述べる。
一方で、児玉さんの未亡人の手記も『99』にはあり、
「あと五年、もう五年と二人して密かに念じていた。・・・(略)・・・五年過ぎれば、末子の一人息子である也一が八歳になる。」とご夫婦で考えていた旨が述べられている。
このように児玉さんが「生命」を思っていた期間から、丁度4〜5年前、三島さんは、上述の自決前の演説をし「生命(いのち)」を絶っている。ドラマでは、5年前の絶命を回想しつつ、5年後までの延命への思いと葛藤を描きます。
又、同じガン病棟で知り合った癌患者の、
「若いときは戦争で、戦争が終わってからは子供を育てるのに苦労して、孫ができたと思ったらこのざまだ。せめてあと十年は生かして楽をさせて欲しいねえ」(『99』より)という声とその背後にある「戦争」(第二次世界大戦)と「生命」にまつわる人生も、脇役的なエピソードとして盛り込みます。
もう一つ、自分の生命への選択の意志も、ここではとても大切になってきます。
『99』に出てくる七病棟の婦長は以下のように言います。
「腎臓がだめになり、機械で生きている闘病者がいたの・・・その人は頑張り、頑張り抜いて最後に『もう疲れた。自分で死を選ぶ」と言ったわ。そして『もういいんです。食べたいものを食べて死にたい』と言って、食べたの。そして、翌る日、彼は死んだわ。」
このように絶命する事に徹底して抗った上で、「自分で死を選ぶ」行為をした、その生命の選択と、三島さんの自決を、対照的に描いていきます。

自らの意志(「心」、「魂」)と手で、自らの「死」を造り、演出した(?)三島さんと、ガンに侵され、自らの意志(「心」、「魂」)に反して、「物」としての「自然」へと帰される形で「死」を迎える児玉さんや上述の腎臓癌患者。
その対照は、同時に上述の
「『物と心』の視点は、どう重なり、ズレるのか?又、そもそも両者の視点の内実に欠陥はないのか?」というこの大河ドラマの中心テーマに密接にリンクしていきます。
日本の国土を地域格差のないように改造し、その上で美しい「自然」を造るのだという角栄さんと、「魂」とそれと不可分な「死」を美しく造るかのような三島さんを、病死という広義の「自然」現象で死んでいく児玉さんは、どう捉え、語ったであろうか?
それをドラマ的なインスピレーションにおいて、冷静に抉り出していく。
そして角栄さん、三島さん、児玉さんの内の誰かが「物と心」の問い、それと不可分な「生命と魂」の問いへの正しい答えを知っているとするのではなく、視聴者一人一人にその答えを探して頂くようにする。
そういうNHK大河ドラマを、ここ10年以内に作れたら良いと思います。

児玉隆也さんを演じる役者さんには、同時に全編のナレーションを担当して頂きます。或る種の狂言回し役、案内役でもある訳です。
ルポライター児玉さんが、あたかもルポするかのように(例えば「226事件」から始まる歴史等を)ナレーションし、かつ児玉さん自身の人生、生命と死への葛藤を演じる、その両者をこなす力量のある役者さんを探さなければなりません。

以上のようなNHK大河ドラマ角栄とミシマ』に、誰か共感してくれる、無名でも才能のある脚本家さんは、どこかにおられないでしょうか?

いつだったかかなり前に、田中角栄さんをテレビドラマで取り上げるのはタブーだという事を、何かで読んだ気がします。
又、三島由紀夫さんも、あの切腹とか天皇制とか、血生臭くセンシティブな問題がついて回るので、テレビドラマで取り上げるのは難しい面があるかもしれません。
しかし、このご両人をぶつけ合わせる事で、更にそれを児玉隆也さんのガン闘病とその死に絡ませて問題提起する事で、何かが相殺されて、タブーが消滅する奇跡は起こせないでしょうか?
そういう冒険をする勇気と意欲のある脚本家さんやNHKのドラマ番組部のスタッフさんや番組制作会社の人材はおられないでしょうか?

そんな提起を、今回は番外編としてさせて頂きました。