「物の廃棄・崩壊を前にしての『経験』とは?」-ゴミ収集の現場から-(2)

.entry-content { font-size:21px; } 私たちにはゴミが収集され、どれだけの総量となり、それがどうエネルギー資源になったり、自然環境に影響を及ぼしたり、ゴミ減量化が実現しつつあるかという事をめぐり、確実ではなく不確実な見通ししか与えられていませ…

「NHK 大河ドラマ『角栄とミシマ』企画をめぐって」・増備改訂版

.entry-content { font-size:21px; } いつものブログでの研究とは別に、新春お正月三が日番外編として、以下の大河ドラマ企画を提起させて頂きます。「生命」と「魂」に関わるテーマの企画である故に、この、「生命体」についてのブログに無縁ではないからで…

「盲目」概念の視覚的意味(3)

.entry-content { font-size:21px; } 今回以降、いくらかの間は盲目という事について、カント以外も含めた哲学者を取り上げつつ考えていきたいのであるが、今回はその問題設定だけでも模索的に言挙げさせて頂く次第です。盲目概念について、どう哲学史的に考…

「盲目」概念の視覚的意味(2)

.entry-content { font-size:21px; } 前回の最後に述べたカントの「プロレゴーメナ」の鏡に関する箇所と、純粋理性批判(以下、KrVと表示)弁証論付録(以下、「弁付」と表示)の箇所の対応は、カントが挙げる鏡、「鏡像反転」と、直接そういう言葉は出て来ない…

「物の廃棄・崩壊を前にしての『経験』とは?」-ゴミ収集の現場から-(1)

.entry-content { font-size:21px; } (以下の文章への注意書き) 〈 私は、自分のブログにおいて、公立の清掃事務所で臨時職員の立場でゴミ収集をする者として、又ゴミを廃棄する一住民として、「物の廃棄・崩壊を前にしての『経験』とは?」と問いたいのです…

「盲目」概念の視覚的意味(1)

.entry-content { font-size:21px; } カント(少なくとも批判期のカント)は、「盲目」という言葉(あるいは概念)に、どのような視覚的意義とその否定を込めたのだろうか? カントにおいての「能動と受動」へのスタンスの或る部分は、「概念なき直観は盲目で…

「ロゴスとピュシス」における親和性の位相について

.entry-content { font-size:21px; } 私は放送大学に提出した修士論文(以下、Aと表示)という概念において、「親和性(Affinität/Affinity)」への暫定的定義をした上で、カントにおける「親和性」の特徴について少し述べ立てたのであった。 ところで、最近…

移行と有機的身体の変形

.entry-content { font-size:21px; } 先月の私のブログでの「親和性」(Affinität/Affinity)を、カントのどの文脈、テクストの相関を主軸として取り上げながら手探りするかの具体的表示とその理由を、今回は述べてみよう。 ただ、今回はあくまで手探りの途中…

「『Affinität/Affinity(親和性・類縁性)』と物体の『不在(欠如)』としての『空虚』」をめぐって

今回は、まだ未提示であったにも関わらず、私の免疫系研究にとって長年の重要なキーワード「Affinität/Affinity」を取り上げます。そうした中で、先月30日にこのブログに載せた「修士論文提示への前口上」で予告した、より具体的な研究方針の表示を行いた…

修士論文「人間と自然の関係についての哲学的基礎──免疫系における可能性と現実性」

田中聡「人間と自然の関係についての哲学的基礎──免疫系における可能性と現実性」(要旨) [PDF/2.4MB] 田中聡「人間と自然の関係についての哲学的基礎──免疫系における可能性と現実性」(本文) [PDF/24.5MB] 田中聡「人間と自然の関係についての哲学的基礎…

「生命体はなぜ超越論的判断を必要とするか」をテーマのブログ開始のためにー私の修論掲載への前口上ー

これからこのブログを始めるにあたり、自己紹介を兼ねて、本ブログにあともう少しで掲載することとなる極めて拙い修士論文(以下、修論と表示)を、私がどういう背後があって書き、このブログでその論文を出発点としつつ、これから主にどういった課題を、どう…