「物の廃棄・崩壊を前にしての『経験』とは?」-ゴミ収集の現場から-(2)

 私たちにはゴミが収集され、どれだけの総量となり、それがどうエネルギー資源になったり、自然環境に影響を及ぼしたり、ゴミ減量化が実現しつつあるかという事をめぐり、確実ではなく不確実な見通ししか与えられていません。どこかに定まった基準があるわけではないのです。しかしそれでも収集者、住民が協力して「ゴミ」を何らかの形で扱わねばならないという時、以下に書くような無線ICタグの使用は有意義な面があるかもしれません。
 そしてその結果として、自分達の先の見通しのなさを、それぞれの 具体的なゴミ収集データの結果によって乗り越え、それぞれの行動の在り方を見出すという時、「経験的」という言葉の意味は、変容を遂げる可能性があります。
 「物」が廃棄され崩壊し、生成していくプロセスでの不確実性を、個々人のゴミの循環を語り、正確に捉えることが出来る中で、例えばゴミ収集人の、ゴミの性質、量への「カン」、ゴミを分けてしかるべき、というような「経験者」としての「立場」よりも、むしろそうした「経験」からの知ではないが、廃棄・崩壊と生成プロセスそのものの数値に頼るという時、数学的自然科学と「経験的」とはどういう事かが具体的かつ、抽象理念的にも考えられなければなりません。それを以下のゴミ分別とその事によるゴミ減量についての可能性から考えてみる事は出来るでしょうか?

さて今、上に挙げた問題を、以上に書いたように、私は無線ICタグをゴミ袋に取り付ける事で、ゴミの位置、中身をゴミ収集者、住民及びその方達で作る自治体で情報共有可能にし(そうした事を選択制の有料でする中で)、ゴミ減量を推進する事と、そこから考え得る「経験的」という事とを、東浩紀さんの(『東京から考える』〈NHK出版、2007年〉での)ご意見を参考に考えてみました。
即ちそのタグ付けにより、ゴミから個人情報が盗まれたり、ゴミを不法業者に持っていかれたりしない様な監視を可能にし、又24時間ゴミを出せる様にもする。しかしその代わり、誰がどういうゴミを出しているかをはっきり分かる様にし、分別の指導情報も、収集者と住民、及び自治体内で共有出来るようにする。
無論、無料ゴミ回収も続けつつ、そうした選択性の有料ゴミ収集で、ゴミ分別とその指導の徹底を図り、その事でゴミ減量を推進するようにする。
言わば先述のゴミ出しをめぐるリスクの減少と24時間ゴミ出し可能を交換条件に、住民のゴミの分別推進、更にはゴミ減量を実現する訳です。

ここで問題は、自分のゴミについての情報を他人(収集者、町内会も含めた)と共有するという、場合によっては煩わしいと思える事を伴っても、無線ICタグを付ける事を、どれだけの人間が受け入れるかだと思われます。
24時間ゴミを出せて、ゴミ分別の指導を受けられる、更に言えばゴミ分別を一緒にプロの収集者と協力して行う。その権利を住民が持つ。
個人情報が自分の家族以外にも広まってもそれをする。

本当に実際の人間はそう動いてくれるだろうか?極めて少数しかそうは動いてくれないなどという事はないだろうか?そういう問題が浮かんできます。
ICタグで、ゴミの細かい中身、容量まで分かるように出来るのだろうか?出来たとして、その事を様々な主体に共有する事に、多くの方が違和感、抵抗感を持たないだろうか?
そんな不安がすぐにもたげてくるのです。

ここで私が、上で提起した問題についてもう少し考えてみれば、どのゴミ(袋)がどこへ行ったか、無線ICタグを付けて分かるようになるという事は、そのゴミによってどれだけの再生エネルギーが得られたかを、分析的に割り出せる(解析出来る)ようになる事を意味し、その分のエネルギーを数値的に「供給」出来るようになる事をも意味するのではないのか?この事を上述の問題の解決の糸口に出来ないか?そう思えてきます。
それはゴミを扱うだけではなく、ゴミについての「数値」とそれに伴うリニアな時間を扱う「経験」が日常生活に参入してくる事を意味します。
そしてその供給が無償で、あるいはポイント式で行われるようになったら良いと思うのですが、どうでありましょう?
例えばアナタは10ポイント分、再生エネルギー醸成に協力して下さったから、コレコレこれだけの電力を支給します、となる。
即ち、ちゃんとゴミ分別すれば、その分別されたゴミで、これだけの数量、電気代、ガス代がお得になりますよ、というのが明示されれば、多くの人が有料制であっても、無線ICタグ付けゴミ収集に賛同し協力して下さるのではないか?
もう一度言い直せば、或る住民さんのゴミの中身と運ばれた先、再生利用のされ方が、無線ICタグによって、かなりの正確さで追跡調査出来るかもしれない事を利用するという事であります。
勿論、収集者による啓発によって、損得勘定を超えた市民1人1人の倫理を改善する事でゴミ分別をして頂く事の大切さから、我々は片時も離れてはなりません。
しかし、せっかく科学的・技術的革新で人々の損得勘定にある程度寄り添う中での、ゴミ分別とその事でのゴミ減量を検討する事も有意義ではないか?
そういう公的協同体を作る事は可能でしょうか?

してみれば、ゴミの中身の(科学的な)解析度の精度の上昇によって、或るエネルギー再生のマシーンでの再生度の測定の信頼度が変わってきます。
その信頼度を最大限に上げつつ、このゴミから、これだけの再生度、と数値化出来るようにする。その科学技術精度によって、更にはその事を正確に理解して、常に住民様にそれを説明する事によって、ゴミ分別率を上げて頂く。
そして結果的にゴミ減量を成し遂げる。

こうした事は可能かどうか?
そこに「経験的」である事はどう作用するのか?
もう少し考えてみたいと思います。


 

「NHK 大河ドラマ『角栄とミシマ』企画をめぐって」・増備改訂版


いつものブログでの研究とは別に、新春お正月三が日番外編として、以下の大河ドラマ企画を提起させて頂きます。「生命」と「魂」に関わるテーマの企画である故に、この、「生命体」についてのブログに無縁ではないからであります。

戦国時代と明治維新を往復ばかりしているNHK大河ドラマに飽き飽きしている私は、田中角栄三島由紀夫を、38歳で夭折したルポライター児玉隆也の視点で比較対照的に描き切る現代物の大河ドラマ企画を考えております。

仮題は『角栄とミシマ』。
(ミシマをカタカナにするのは、「三島」だと、地名としての静岡県三島と勘違いする方が出てくる気がするからです。)

現代もの大河として田中角栄さんを取り上げたらどうか、西田敏行さんが角栄を演じたいと仰っておられたし、という私の話に、 私の優秀な知人のNさんが、そこに三島由紀夫さんを対照的にもってくるという提案をして下さって、それは面白いと思った私は、そこからインスピレーションを広げている次第です。
主たるモチーフとなる時代は、「226事件」のあった1936年から「ロッキード事件」のあった1976年の40年間。
その時代の大きな歴史の渦の中で、角栄さんと三島さんの人生が交錯します。
第二次世界大戦後の戦後社会において、日本を真の姿に戻す、という事を考えつつ、全くベクトルの異なる方向を向いている2人は、どこで重なり、どこで別れるのか?
日本列島改造論』(田中角栄著、1972年、日刊工業新聞社)と自衛隊についての「改憲」。
土建屋」的に、即ち「物」の視点からの「改造」と、大和魂的な「心」の視点からの「改革」(以下の自決直前の三島さんの文言での「魂」等を参照)。
この「物と心」の視点は、どう重なり、どうズレるのか?そしてそれはなぜなのか?
又、そもそも両者の視点の内実に欠陥はないのか?あるとしたらその欠陥をどう補うのか?
「死」への、あるいは「死」からの視点において。

こうした事を、大河ドラマで1年間かけてじっくりと描きます。
そこに1937年に生まれ、1975年に亡くなった児玉隆也さんのパーソナルヒストリーの視点が重なります。
児玉さんは、三島由紀夫さんの友人であり、三島さんを人生の師と仰いでいました。
一方で児玉さんは、田中角栄さんの金権政治を告発する為の「淋しき越山会の女王」を執筆、1974年に発表。

因みに1970年に三島由紀夫さんが、自衛隊市ヶ谷駐屯地で切腹された正にその日の夜に、児玉さんは田中角栄さんと赤坂の料亭で会い、田中角栄周辺について調べた事を公にして良いかを角栄さんに問い、拒まれます。しかし、その4年余り後に、その時に握り潰された取材成果は雑誌『文藝春秋』に、立花隆さんの「田中角栄研究」と共に上述の「淋しき越山会の女王」というタイトルで公表されます。そして、それは角栄首相退陣の引き金になります。
一方で経済的(即ち「食べる「物」、住む土地、家等の「物」についての)に貧しい青少年期を送った児玉さんは、同じような経済的、「物」質的貧しさを青少年期に経験している角栄さんに共感と愛情をも持っています。同時に、繰り返しますが、児玉さんは親交のあった三島由紀夫さんを尊敬していました(三島さんは、それなりに裕福な家庭に生まれ育ち、「物」質的にはおそらくは不自由しない青少年期を送られたのか?その上で、大和「魂」という「心」の問題の改造を強く希求したのか?という視点もドラマには盛り込みます)。

その児玉さんは、上述の「淋しき越山会の女王」発表からそれほど時を経ずして(7カ月程後に)、ガンで亡くなります。
ドラマでは、ガン病棟で自らの「生命」と死に向き合い、自らの子供の為に延命(自らの「生命」を延ばす事)を望む児玉さんが、三島さんが自決直前に叫んだ文言である、
「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ」
を、しばしば追想し、葛藤します。
ここで参照するのは、児玉さんの著書『ガン病棟の九十九日』(1980年、新潮社)〈以下、『99』と記す〉には、「生命」や「生きる」という言葉、「5年」という年月が出てくる事です。
即ち児玉さんは
「神様、せめてあと二十年ほどの生命を下さい」と願う。
あるいは「・・・癌を病む前と後で、私の中に明らかに変わった点が一つあり、それは神様という言葉を知ったことだ。」とした上で、
「入院した病院のトイレにあった『神様、私の癌を治してください』」との落書きを書いた「癌患者の生命に、”神様”はどんな匙加減をお与えになっただろう」とやはり「生命」という言葉を出す。
更には「おそらくこの先、腹が痛むといっては癌、頭が重いといっては癌ーの転移ではないかと、薄氷を踏む思いの五年間(うまく生きれば)であろう。」と、自らのこれからの五年間の生命を述べる。
一方で、児玉さんの未亡人の手記も『99』にはあり、
「あと五年、もう五年と二人して密かに念じていた。・・・(略)・・・五年過ぎれば、末子の一人息子である也一が八歳になる。」とご夫婦で考えていた旨が述べられている。
このように児玉さんが「生命」を思っていた期間から、丁度4〜5年前、三島さんは、上述の自決前の演説をし「生命(いのち)」を絶っている。ドラマでは、5年前の絶命を回想しつつ、5年後までの延命への思いと葛藤を描きます。
又、同じガン病棟で知り合った癌患者の、
「若いときは戦争で、戦争が終わってからは子供を育てるのに苦労して、孫ができたと思ったらこのざまだ。せめてあと十年は生かして楽をさせて欲しいねえ」(『99』より)という声とその背後にある「戦争」(第二次世界大戦)と「生命」にまつわる人生も、脇役的なエピソードとして盛り込みます。
もう一つ、自分の生命への選択の意志も、ここではとても大切になってきます。
『99』に出てくる七病棟の婦長は以下のように言います。
「腎臓がだめになり、機械で生きている闘病者がいたの・・・その人は頑張り、頑張り抜いて最後に『もう疲れた。自分で死を選ぶ」と言ったわ。そして『もういいんです。食べたいものを食べて死にたい』と言って、食べたの。そして、翌る日、彼は死んだわ。」
このように絶命する事に徹底して抗った上で、「自分で死を選ぶ」行為をした、その生命の選択と、三島さんの自決を、対照的に描いていきます。

自らの意志(「心」、「魂」)と手で、自らの「死」を造り、演出した(?)三島さんと、ガンに侵され、自らの意志(「心」、「魂」)に反して、「物」としての「自然」へと帰される形で「死」を迎える児玉さんや上述の腎臓癌患者。
その対照は、同時に上述の
「『物と心』の視点は、どう重なり、ズレるのか?又、そもそも両者の視点の内実に欠陥はないのか?」というこの大河ドラマの中心テーマに密接にリンクしていきます。
日本の国土を地域格差のないように改造し、その上で美しい「自然」を造るのだという角栄さんと、「魂」とそれと不可分な「死」を美しく造るかのような三島さんを、病死という広義の「自然」現象で死んでいく児玉さんは、どう捉え、語ったであろうか?
それをドラマ的なインスピレーションにおいて、冷静に抉り出していく。
そして角栄さん、三島さん、児玉さんの内の誰かが「物と心」の問い、それと不可分な「生命と魂」の問いへの正しい答えを知っているとするのではなく、視聴者一人一人にその答えを探して頂くようにする。
そういうNHK大河ドラマを、ここ10年以内に作れたら良いと思います。

児玉隆也さんを演じる役者さんには、同時に全編のナレーションを担当して頂きます。或る種の狂言回し役、案内役でもある訳です。
ルポライター児玉さんが、あたかもルポするかのように(例えば「226事件」から始まる歴史等を)ナレーションし、かつ児玉さん自身の人生、生命と死への葛藤を演じる、その両者をこなす力量のある役者さんを探さなければなりません。

以上のようなNHK大河ドラマ角栄とミシマ』に、誰か共感してくれる、無名でも才能のある脚本家さんは、どこかにおられないでしょうか?

いつだったかかなり前に、田中角栄さんをテレビドラマで取り上げるのはタブーだという事を、何かで読んだ気がします。
又、三島由紀夫さんも、あの切腹とか天皇制とか、血生臭くセンシティブな問題がついて回るので、テレビドラマで取り上げるのは難しい面があるかもしれません。
しかし、このご両人をぶつけ合わせる事で、更にそれを児玉隆也さんのガン闘病とその死に絡ませて問題提起する事で、何かが相殺されて、タブーが消滅する奇跡は起こせないでしょうか?
そういう冒険をする勇気と意欲のある脚本家さんやNHKのドラマ番組部のスタッフさんや番組制作会社の人材はおられないでしょうか?

そんな提起を、今回は番外編としてさせて頂きました。

「盲目」概念の視覚的意味(3)


 今回以降、いくらかの間は盲目という事について、カント以外も含めた哲学者を取り上げつつ考えていきたいのであるが、今回はその問題設定だけでも模索的に言挙げさせて頂く次第です。盲目概念について、どう哲学史的に考えたら良いのか拙いながら手探りしつつ。
 そんな中、ここで殊に注目したいのは、世界の果てと、その外部に成立するような「境界」ということ。有限性と無限性の境界という事にも視野を置きつつのそれ。
 デカルトの生きていた当時のヨーロッパで世界の果てとか、「境界」という事柄には、今とは異なる意味、感性が伴っていたのかもしれない。
 例えばデカルトの『方法序説』(以下、『方序』と記す)は、そうした「境界」を越えていく事自体を「旅」としていたのかもしれない。人間の認識と存在の有限性と無限性の境界を越えていく旅、そこでの偶然性。そんな事を考えつつ、最後には、以前からこのブログで取り上げている「盲目的偶然」というタームの本質へと迫りたいのである。
 ところで、そうした中でもう一つ気になる事として考慮に入れておきたいのは、プラトンの『国家』に出てくる「洞窟の比喩」の事である。闇に包まれている洞窟から人間が視線の向きを変え、洞窟と外の世界の「境界」を越えて日の当たる世界に出ていくこと、場合によっては「旅」に出ていくこと。
 こうした中で、人間の視力、視覚がその有効性を変化させ、「盲目」であることの意味合いを保ち、又変化させるのか。古代や近世での国家と外部を考え合わせつつ視てみると。
 そうした事についても頭の片隅に置きつつ思索を進めたいのである。

 さて、私がかつて、カントの『純粋理性批判』の「理想章」の注において感じ取っていたのは、概念が包まれ且つ包む(池田善章氏の使用されたターム、あるいは言い方)事象における「親和性」という事であった。そのことは視覚(論)においても現れる。どのように現れるか。一つには最近本ブログで私が着目している「盲目」という概念の扱いにおいてである。
 それでは、「盲目」概念は、抽象的概念か、感覚的概念か。
 上述の池田氏の言い方を借りて言えば、視覚は感覚的に光線を受容し、包まれるという事と、概念によって「外部」の世界、外界を捉え、抽象的で包括的な解釈を成す事が相即的な中で現れるのではないかという暫定的説に、私は思い至る。
 そこで「盲目」は、どう位置づけられるか。そう考える時に、上述の命題が現れる。
 この事を例えばデカルトにおいて考えようとする時、まず考慮に入れなければならないのが「無限」ということであろうか。いや、それはおかしい、「無限」などと、上述のプラトンの登場する古代から西洋的哲学においてさんざん、飽きるほどに問われすぎてきたことではないか、あえてここでなぜ取り上げるのか?

 こう問うた上で、その問いを私は、デカルトの「方序」においてまずは問い直していこうと思う。

 その出発点として、以下の『方序』の第5章の一節に注目するところから始めてみよう。

「しかし画家が、平らな画面に立体の異なったすべての面を同じように表現することは不可能だから、その主要な面のひとつを選んで、その面だけを光のほうにむけ、ほかのもろもろの面は陰において、われわれがこの日向になった面だけを眺めることによってはじめて、ほかの面が見えるようにするのとまったく同じように、わたしもまた、この論説中に自分の思惟のなかにあるすべてのものを盛ることはできないであろうということをおそれて、わたしはそこで自分が光について考えていたことだけを説明し、なおその機会に、光はほとんどすべて太陽と恒星について、天空は光を伝えるものであるから天空について、遊星、彗星および地球について、なかんずく地上に存在するすべての物体について、なかんずく地上に存在するすべての物体について、最後に人間はそれら物体の見物人であるから人間について、若干の事柄を付け加えようと企図したのであった。・・・」(小場瀬卓三訳・角川ソフィア文庫・2011年・角川書店

 ところで、かつて大森荘蔵氏は、『物と心』(東京大学出版会・1976年)の第10章「虚想の公認を求めて」で以下のように述べておられる。

「立方体の今見えてない一つの側面の知覚的思いでは、その側面が知覚正面と『思われ』、今見えている知覚正面はしこでは『見えていない』一つの側面として『思われ』ることになる。」
 そして、大森氏の他の著作では、こうした知覚正面の視覚風景の「無限」集合が、或る種の知覚世界であるとされる。

 してみれば上述のデカルトの文において、或る面を光の方に向ける、つまり光に包まれるようにする事と、或る面を選んで抽出し、かたちを表現するために、形の存在を抽象概念によって、「立方体である」とか、百面体であると規定することは、包まれ且つ包むことの萌芽と見れないこともない。
 さて、そうした議論で考えられる「面の数多性」と、視点の多様性、さらには上述の視覚風景の集合を形成する視点の「無限性」は勿論必ずしも一致しない。
 こうした有限な数多性と、視点の無限性は、デカルトにおいて、殊に「魂」との関連においてどうなっているのだろうか?どのような関係付けがあり得るのだろうか?なぜこう問うかと言えば、他我、他者の魂というべきものは、その他者の何らかの身体的行為、及びその結果から推論されることが多く、それは立方体としての身体の行為に付随するものだからである。その立方体への視点のありようは、他者の「魂」への態度そのものを形成するはずだからである。
 上述の冒頭の方の「盲目」への問いを、こうしたことに焦点を当てる中で、これから(主に『方序』において)しばらく考えてみよう。
 そう問題を設定した上で、以下の二つの引用を見てみよう。

 まずは先にも引用した大森氏の『物と心』の別の章(第3章「痛みと私」)の或る箇所を見てみよう。

 「・・・だがそう言う人は色盲の人に向かって、あなたの今見ている空の色はあなただけのものであってあなたの内側にしかあり得ないのだ、と言わねばならない。当然その色盲の人は、それならそう言う君の見ている空の色も君の内側にあることになる、と答えるだろう。こうしてすべてわれわれが見るもの聞くもの味あうものがことごとく主観的なものにされてしまう。これはプラトンの洞窟の比喩の再現である。・・・
 この比喩においてすら、見られた色や形は五体の外つまり洞窟の壁にあるのであって五体の内部にあるのではないことに注意して戴きたい。それなのにどうして悲しみが五体の外部にあってはいけないのだろうか。」
 ここでの五体とは、(上述の言い方に直せば)身体という立方体であり、「見られた」という「見る」ことの可能性としての視覚と、身体が世界に包まれていることを、大森氏は洞窟の比喩において表出されている。

 もう一つは、上述の邦訳の『方序』第6章からの一節である。
「目あきと対等に闘うために真っ暗な洞穴かどこかの奥に目あきを連れこもうとする盲人にそっくりだと思う。」

 五体の外部としての洞窟の壁と、洞窟という空間の外部としての世界から目あきを連れ込む洞窟の内部。洞窟の中の盲人にとっては、目をつぶった時の闇と、目を開けた時の闇はどのように異なるだろうか?
 生まれてから縛り付けられ、洞窟の中しか知らず、そこのみしか「世界」と規定出来る空間を所有せず、しかもその主体が盲人だった場合、闇と光の差異を知り、身体の外部の世界の本質を知るには、洞窟の外に出て旅をしてくるのが良い手段なのか?(ここで取り上げた比喩としての洞窟は、個々の身体なのか、組織としての国家なのか?)

 身体という立方体が世界に包まれていること。
目が世界の光に包まれつつも見えないことと、光なき闇に包まれて、目が見えない、その機能を役立たせられないこと。それらは感覚的に成立しているのか、推論された上での概念、事態なのか?
 さらに魂と、魂が向かう方向、魂の光の発出する向きとでも言うべきものは、自らの位置をそうした(洞窟のような)空間でどう在ると表現出来るのか?

 これらの事柄を、これまで述べてきた旅とか洞窟の事を考慮に入れつつ、哲学テクストにおいて考えることをしてみたい。
 
< 今回は、冒頭にも書かせて頂いたように、こうした拙い問題設定だけで、とりあえず終わらせて頂きます。次回からテクストに即して、具体的な論述の展開させて頂きます。

 申し訳ありません。>

「盲目」概念の視覚的意味(2)


 前回の最後に述べたカントの「プロレゴーメナ」の鏡に関する箇所と、純粋理性批判(以下、KrVと表示)弁証論付録(以下、「弁付」と表示)の箇所の対応は、カントが挙げる鏡、「鏡像反転」と、直接そういう言葉は出て来ないけれど、「合わせ鏡」というべきものとが相関するといえる構造が、その根底にはあり、そうした鏡像反転と合わせ鏡の位相は、カントの「無限」「有限」へのスタンスに通じている可能性を、私は考えている。そうした可能性において、上述の対応を、更にはカントの文脈での「盲目」を考えたいのである。
 合わせ鏡の狭間において、有限な宇宙がどう映り、場合によっては無限な宇宙となるのか?そうした事を手探りする中でである。
 そのさわりの部分を、汎通的規定性の原則と「否定」との関わりを考えつつ、以下で示し、上手く行けば、その関わりがアリストテレスから受け継いだものであるか提起してみよう。 

 カントにとっての「汎通的規定性」は<その個体のあらゆる賓辞が予め決定済みでなければならぬ>ことであると言われる。そしてそれをカントは否定しようとしたと言われることもあるかもしれない。しかし本当にそうなのだろうか。そこにはこれまでには知られていなかった新たな物事・事象を「発見」することが相即不可分のこととして在るのではないだろうか。汎通的に規定された究極のものは神であろう。その特権的な他(者)としての神は、汎通的に規定されたものであると同時に、その規則から逸脱した事態をも、その理論構成に取り込んで新たな性質を発見される位置にあるのではないか。或いはそのような神は、(或る超越的な立場から)規定されるそれぞれの<私>の本性でもある。前以って決定済みであるとともに、その決定済みであることによる「汎通的規定性」の原則が、あるいはその原則における親和性の規則がはじめて自覚され、効力を発揮するのは、これまでの規則からは逸脱した新たで未知な何かを(他なるものに)見出そうとし、あるいは現に見出し、同時にそのことでそれぞれの<私>の未知な要素に気付くことにおいてである。
 ただ諸述語を前以って(アプリオリに)知り、その間に矛盾を見出すだけではなく、それを乗り越える何かの「発見」なしには、「個体」の規定をする規則、あるいはその規則を自覚的に守ることはあり得ない。そしてそうした「乗り越え」が起こっている時に、上述の「規定」と「発見」の運動も起こっている。個体を規定することで、或る個体が外界のものを視ること自体を表出するのである。 
 以上のような見地から、カントは「汎通的規定の原則」を「否定」したのではないのではないか、ただこの原則と「発見の原理」が相即不可分であることを強調したかったのではないのか、と私は考える。あくまで或る個体の考えられ得る述語による特徴付けをしつつ、しかしそれを逸脱する新たな事態へと適応することにおいて、他の誰もが気付いていない新たな何かを発見する、或る側面において「視る」プロセスこそが、カントにとっての「個体化」なのである。しかしそこには今述べてきたような、又違った意味での「否定」が内含されているのである。
 繰り返しになるが言い換えれば、「汎通的規定性の原則」という「規則」について、「否定的」な見解を抱きつつも、ただそれを単純に否定し去るのではなく、そうした「否定」そのものが、概念相互の間においてどう位置づけられるかを、カントは慎重に見極めようとしているのではないか。「否定的」にとらえられること自体は「否定」されうるのか。こうしたことへの、カントの繊細な思慮が、どこかで間違いなくあるのではないか。
 さて、それでは以下でこの「発見」と「規定」のプロセスを、anzeigen(以下、azと表示)とangeben(以下、agと表示)への、テクストにおけるカントのペアでの使い方と共に見てみよう。
 本稿に限定した意味での「超越論的」なるものは、この「発見」と「規定」の二重のプロセス、運動が、「超越的なもの」についての作用において起こる時に現れる事象、というのが、先の定義であったが、この「超越論的」ということが、「否定」とどう結びついて「超越論的否定」となっているかを、「視覚」のことを中心に考えてみよう。
 カントにおいて、外延は徴表(merkmal)としての概念のもとに含まれているものであるが、そうした「もと」にありつつ、暗示された徴表を目指すこと、見出すこと、又そうすることにおいて、外界の事物を(直接に)指し示すこと(見ること)、この二つの意味が重なった所に、anzeigenが使われる。そしてこの「目指す」という所に、「虚焦点」などの光と「視覚」についての比喩が見られる。
 一方で内包はカントにとって、概念が部分概念として、諸物についての表象の内に含むものだが、そうして内に含む、含んでいくこと(方向・領域)にangebenが使われている。直観から多様を受け取り、且つそれを掴み(begreifen)、概念(begriff)としていく、それは人間が認識において或る瞬間の内へ含み、その瞬間を(幾何空間において)無限分割していくものであり、且つ、概念の内へ(<瞬間>も含めた概念の内へ)含んでいくこと(implicate)、内へとはらんでいくこと(begreifen)、と共に「外」へと表示すること、これらのことにangebenは対応している。
 しかもazとagがペアになっている側面が、勿論その局面にもよるが、あると思われる。azが外界の事物を指し示し、且つ「暗示」された概念としての「徴表」を目指すということであったのに対して、agは、そうして指し示し、且つ目指すそのプロセスにおいてのratio(比例)、又その認識を成立させる条件・機能ということを、上述の概念が自らの内に含んでいくことに重ねていくところにあると、私には思われる。

 言い換えれば、素材としての諸現象は、外界の或る物、あるいは物自体といって良いものを、「暗示」するというところに、azは使われ、その暗示を通じてその物自体を「指示」するというような概念構成となっている。
 例えば「現象という語は既にあるものとの関係をazしている」(KrV・A252)という文がKrVのA版の「あらゆる対象一般を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠について」(以下、「可/現」と表示)という章にはある。又「判断力批判」(以下KdUと表示)では「悟性は、自己のアプリオリな法則が自然に対して可能であることによって、自然が我々にはただ現象として認識されるということによって、自然が我々にはただ現象として認識されるということを証明し、従って、同時に自然の超感性的基体をaz(暗示)し」とある。同じくKdUで、物自体は超感性的であろう(KdU・ⅩⅨ)、とカントは述べているが、いわば、現象が物自体を暗示するというわけである。
 一方で、agは経験の可能性、及びその条件、更にはそれらが成立する根拠が「示される」という箇所、もう一つはその可能性、条件に従って、あるいはそれらに従った上でのカテゴリーによって、感性に「与えられた」現象をフェノメナとして明文化し、「示す」というところで使われており、言わば、以下に示す「表示」ということに関わる、一連のプロセスを「示す」という所に使われていると思われる。
 即ち、カントにとっての認識の源泉は、直観と概念である。対象によって触発される能力として感性が受容するものは、その当の対象を「指示」しているような表象としての直観であろう。これに対して、概念の能力である悟性は、この指示という性質を含んだ諸表象を諸々の原則を通して明文化する「表示」能力、直観の多様を語り得るものにするための多義的な能力である。それ故「概念なき直観は盲目」であり、また逆に「内容なき思考は空虚」であると主張するカントにおいて、対象の認識は、一つの表象を指示する受容性と表示する能動性という二つの性質から構成することである、と言い換えることが出来るであろう(この段落は、江川隆男氏のご教示・表現の引用による。)。
 そして、上述の如くazとagは合わせ鏡となると思えるのだ。
それではそれはなぜかを、以下で少し探ってみよう。

 上述の「可/現」のA版で、「感性のあらゆる条件を捨て去り、カテゴリーを物一般の概念と考えるとすれば、・・・カテゴリーが元来どこにその適用とその客観とを有するか、従ってカテゴリーが元来どこにその適用と客観とを有するか、従ってカテゴリーがいかにして純粋悟性において感性なくして、何らかの意味と客観的妥当性とを有し得るかを、少しも示す(azする)ことが出来ないのである。」(KrV ・A242)とあり、又一方で先に述べた同じく「可/現」のA版の別の所では「現象という言葉が既に、その直接の表象は勿論感性的ではあるけれども、しかしそれ自身としては、我々の感性のこのような性質を欠いても、なお残るもの、即ち感性から独立した対象たらざるを得ないようなあるものへの関係を示す、という文脈がここにはある。
 一方で同じく上述の「可/現」の少し前の「経験の第三類推」のところで、「一つの客観が存在すれば他の対象も又同一の時間に、即ち同時的に存在するということ、そしてこのことは知覚が相互的に継起し得るための必然的条件であるということを、agするものではない。」(KrV ・B257)とあり、又少し後の「反省概念の二義性」では、「現象としての実在的反対を生ぜしめる経験的条件を、一般力学は、アプリオリな規則としてagすることが出来る。(KrV・B329)とあり、その実在的反対を考えてみるための条件は、感性においてしか見出され得ない、としている。ここでは感性があるからこそ、agされるプロセスについて語られていると言って良い。
 こうして見てくると、感性無くしてazされることはないということが述べられる文脈と、感性において成立する経験的条件がagされるということは、言わば合わせ鏡のような関係にある、と思えるのだ。
 先に、感性が受容するものは、その当の対象を指示しているような表象としての直観と述べたが、その指示のプロセスの一つとして物自体の暗示、azはある。それは感性があるからこそ、受容される、そして機能するプロセスである、一方でこれも先に述べたが、悟性は、この指示という性質を含んだ諸表象を原則を通じて明文化する表示能力であり、その諸原則、及びそのための経験的条件の「示し」は感性があってこそ成立する。言わば「感性」ということを通じてありうる、直観と概念が作用するに際しての「暗示」と、「明文化」のためのプロセスの「示し」ということで、繰り返しになるが、これらazとagは合わせ鏡となっている、と私は考えるのだ。

 ところでカントは、問題の「理想」注の少し後の、あらゆる可能な述語について述べる所(KrV ・B602)で、論理的「否定」はもっぱら「非(nicht・non)」という小詞によって示される(angezeigt)と述べ、論理的「否定」が概念と概念との「関係」に存するものであると述べている。そして超越論的肯定が及ぶ限り対象は「物」であると述べる。
 即ち、ここでの論理的「否定」が、「概念」に属するものではなく、「判断」における二つの相互の関係に属するものである、とカントはする。そうした「関係」での「否定」が、angezeigtされるとして、例のazの変化形を使っている。
 さらにそのすぐ後の段落で、「否定」の概念はすべて派生的なもの、とし、又対立する肯定が根底に存しなければならない、とカントはするが、その説明として、正に「光」と「視覚」、更には「盲目」の人である盲人について述べるのである。
「生まれついての盲人は、闇がなんであるかを知らない、彼は光を知らないからである」(KrV ・B603)
カントにとって超越論的理念とは、理性の統制的使用での虚焦点(岩波文庫の但し書きによれば、光がそこから発するかに見える鏡面の想像的焦点)であると、「弁付」では述べられている。上で述べたKrV第三類推での、遠い天体や「理念」を、カントは「光」に喩えつつ思考している。「物」や「概念」そのものではなく、その「物」と私たちの「眼球」との相互作用において「示される」、しかも、そこに光が、そこから発出するかに見える、あるいは派生するかに見えるものとして見られる、という所に、azが使われるのである。
 それは「関係性」としての否定に属しつつ、しかしそれからは一歩抜け出た所で、そうした「否定」を、否定のプロセスを見極めようとするカントの姿勢に伴うものではないのか。それは上述の、徴表を指し示し、かつ目指すプロセスに重ねられるものと、私には思われる。そしてこうした「否定」とそのプロセスへのカントの視点が、冒頭で述べた、相互性から一歩抜け出た、唯一の事物の中に可能性の総体が見出される、ということをカントが、「否定的」に述べていることに通じていると思われるのだ。

それでは、ここまで進んだ論を前提に、これ以上の探求の為に私が、考慮の前提にしたいこと、考えたいことを箇条書きにしてみよう。

(1)
アリストテレスが欠如と並行して挙げた否定は、カントにおいての世界を観察する或る何らかの視点の「場所」を「否定」する可能性の起点と同一か?
或る特定の場所から「視る」という事象が起こっているという事は、他の視点から眺めた物事の現れ方を「否定」する可能性を探ろうとして、特定の視点から物事を視ている事が、「可能性」としてあり得る事を意味するのか?

(2)
アリストテレスは、盲目を欠如として取り上げている。欠如にも多くの異なる意味がある、否定的な意味を表す語の意味にも色々あるように、と。両眼ともに視力を有しないのが盲目で、片目の人は盲目ではないと。しかしだから善と悪が必ず二つに分かれるのではなく、これらの「中間」があると言う。

(3)
KrV弁証論付録に出てくる「無限数の中間項」という概念。
この中間ということは、(2)に書いたような、アリストテレス以来の形而上学から引き継がれた概念であるのか?
しかも、先に述べた「無限」の形而上学的扱いと深い関わりがあるのか?

(4)
カントにおいて、無限あるいは無限遠という概念は、「盲目」という事象に相関していたと考えられる。
何らかの対象を視る視点と、無限、無限遠に続く宇宙空間への消失点。対象としては消失しつつも、存在的概念としては、眼球を向けている。それを「盲目」という概念で位置付けを探っているのではないか?
視えてはいない、しかし「身体」はその消失に包まれるのである。線型時間において、右から左に時が移行する、という「線」では割り切れない消失点を、「身体」は包み、且つその消失に包まれるのではないか?
この身体、場所の考え方について、カントはアリストテレスから受け取ったのだろうか?

(5)
以前にこのブログでも述べたこともある、カントの「盲目的偶然」という概念。
この概念を考える際に、「偶然」は、果たして過去形の概念か?と問うてみよう。これは、一ノ瀬正樹氏が、複数の場所で述べておられる問いである。
過去と現在の非対称性を鏡像反転と共に考える。そうした視覚的位相・意味と「盲目」という間にある隔絶と連続性を、今回のこのブログに書いたことと、そうした「過去形」への問いと共に考えてみるとどうなるだろうか?

「物の廃棄・崩壊を前にしての『経験』とは?」-ゴミ収集の現場から-(1)


(以下の文章への注意書き)
〈 私は、自分のブログにおいて、公立の清掃事務所で臨時職員の立場でゴミ収集をする者として、又ゴミを廃棄する一住民として、「物の廃棄・崩壊を前にしての『経験』とは?」と問いたいのです。
それは、物質の崩壊と生成を繰り返す生命個体が、なぜ個体性を維持し、超越論(先験)的判断を必要とするかを問う、私のブログでも提起している、生涯をかけた研究テーマに根底で通じています。
しかし、今年の4月のブログ開設以来、これまでいくつか書き散らした文章らしきものが理論的な面のみだったのに対し、そのゴミ収集への問いはどちらかと言えば実践的な面から、同じ提起を考察します。
ただ、哲学の問いを持ちつつ、ゴミ収集現場で臨時職員として働いている経験をも持つ人間は、あまり他にはいないかもしれないので、そういう視点からこそ見える実践の理論的側面をも逆照射出来れば、幸いなることとも考え合わせています。
今回の掲載分は、上述の問いかけのいわば試運転であり、時々同じテーマで気が付いたことがあったら、これから順次不定期に、書き連ねていこうと思います。
又、だいぶ前にFacebookに書いたものを、再利用する文章であることもお伝えしておきます。〉


臨時職員、派遣職員等の立場で私の見て来た範囲での東京都23区の中の幾つかの区の公的なゴミ収集の現場では、少なくとも2つの差別が絡んでいる。

一つは、端的にゴミ収集自体が、汚く、あまり知力を使わない仕事であり、上等な仕事ではないとする(多くの場合に誤解に基づく)差別を広い社会的文脈において受けることである。
しかし、もう一つは、そのように単純ではない。
まず、そうしたゴミ収集への差別に抵抗する為ということも多少絡む可能性において、ゴミ収集の「経験の時間」を神格化する。30年間の経験がある、と言うように。さらにそこに、誰それとは10年の付き合いだから、と言うような村意識で、臨時職員を含めたよそ者を排除、差別化することが加わる。
しかし、ゴミ収集の現場は、どんなに長年の経験があっても、毎瞬間に変化する、全体を把握し難い面がある。
ついさっきゴミ収集を始めたバイトの人間と、30年来のベテランとは、同じ程度に間違う可能性がある。
それはゴミ収集の現場で起きる狭義の物質的事象(物の廃棄・崩壊等の)に対してのみではなく、ゴミ収集をする人間、例えば自分以外の正規職員、バイト職員の「行動」への誤判断ということもある。様々なことを多方向に向けて行うゴミ収集の現場においては収集員のお互いの行動というのは、目の前にいるようでありながら、中々把握し切れない面があり、単純にその面が現場行動にとって決定的だったりする。
もちろん経験が現場においてものをいう場面もある。長年の経験を尊重しつつ、逆に「経験」とは全く関係なく、毎瞬間ごとにバイトと正規職員は、現場の出来事(ゴミ収集をする人間の行為の内実も含めた)を平等な立場において、出来得る限り冷静で正確な言葉において話し合う必要がある。そういうバランス感覚が必要である。
しかし、多くのゴミ収集正規職員は、いつもではないが少なくない確率において(上述の、差別への抵抗の為に、ということもあるのだろうか?)、そうした平等さを避け、無根拠に自分たちの「長年の経験」をどこかで半ば無根拠に持ち上げたがっていることも、時としてあるように私には感じられる。
そして彼らは、「長年の付き合い」を持つ同士でどこか村社会を作りたがる。清掃正規職員、あるいは養生会社のドライバーとの間において。バイトの人間が、「長年の経験者」の意見に楯突こうとすると、あまり大した思慮も為されることなく、多くの場合、極端な拒絶が彼らによって為される。

かくして上述のバランス感覚は、ずっと失われていく悲劇は続く。
この悲劇を、なんとか改善出来ないものだろうか?

本当は、今こそ、労働者は正規職員とバイト職員、派遣職員、臨時職員が、お互いのコミュニケーションを少し過剰なくらいに見つめ直し、常に常に常にきちんと意思疎通が、相互の行動理解が出来ているかを、毎瞬間毎瞬間(本当に毎瞬間毎瞬間)チェックして、お互いに排除し合わず協力し、労働者への不当な搾取や圧迫に抵抗すべき時なのに。

「バイトの連中はガタガタ言わずに黙って俺たちについてくりゃ良いんだよー!」的な文言と意識は、長い目で見れば自分で自分の首を絞めることに、ゴミ収集正規職員達は気付かなければならない。

その気付きのなさの前では、「ゴミ収集の職場経験」の30年、40年、いや50年などというものは、本当にどうだっていいものだということ、屁でもないということを。

このことを私は強く言いたい。
そして物質・物体が日常生活の文脈から離れ、廃棄物として分解、崩壊することに労働として関わる「場所」において、労働者の、いやもっと広く人間の「経験」とは、更には「先験的」なものごととは何なのかを、私は改めて考えざるを得ないのである。

「盲目」概念の視覚的意味(1)


 カント(少なくとも批判期のカント)は、「盲目」という言葉(あるいは概念)に、どのような視覚的意義とその否定を込めたのだろうか?
 カントにおいての「能動と受動」へのスタンスの或る部分は、「概念なき直観は盲目であり、内容なき思考は空虚である」(KrV B75)という言明のもとに表出されている。「盲目」という概念を通じて「能動/受動」が考えられている。
 ところで、これまでも示した純粋理性批判(以下、KrV)の「理想」章での汎通的規定性を取り上げつつ「親和性が証明される」と述べられる箇所には、言うなれば親和的な「関係」が証明されるという意図が込められている。そして「受動」の性質も込められている。否、それに留まらず、受動的であり、かつ能動的な何かが、その「証明」にはある。少なくとも私は、そのような仮説を立てているのだ。
 更にカントにおいては「関係」のカテゴリーには相互性の関係があり、その親和性の証明の箇所には、そうした関係が含まれる。
 このカテゴリーのもとである判断の「関係」の三つの内の選言的判断について、カントは一つの命題を挙げている。
「世界は盲目的偶然によって存在するか、内的必然性によって存在するか、外的な原因によって存在するかである。」(KrV B99)
ここには「盲目」という形で「視覚」とその判断、思椎、そしてすぐ後に触れる「思考」との関係が含まれている。
 マーティン・ガードナーは、非生物の世界と生物の世界とのギャップを埋めるために提出される説として、「偶然と自然の法則が組合わさって作用する」という説を提示し、それを「盲目的でない偶然」と表現した(『新版 自然界における左と右』、1992年、マーティン・ガードナー著、藤井昭彦他訳)。「盲目的でない」という表現には、たしかにそのような「自然法則にも適合した」という意味もあるだろう。そしてカントが「盲目的偶然」と書くとき、逆に自然法則に適合しないという含意も半ばにおいてあるに違いない。しかし、そう言った意味合い以外に、いわゆる「視覚」的な意味そのものも、カントのテクストには確実に存在するのではないか。それも、自然法則への「適合性」という事と無縁ではない形でである。適合的であるだけでなく、「視る」という「能動的な」意味を持つように思えるのだ。
 してみればカントにおいては、視覚そのものと視覚モデルによる思考・表現があると共に、そうした視覚モデル等を或る種微妙に否定し、「身体」感覚を表現しているところがある。少なくとも私にはそう思える。この事を、カントが述べる「思考の方向性」に或る種内含されると私が考える「時間の方向・向き」及びそこで措定される「瞬間」への観点を考慮に入れつつ考える事は可能か、しばらく(何回か)模索してみよう。今回は、その小手調べである。
 因みにここで一つ私が前提としているのは、このブログで前回に取り上げた福岡伸一氏の『福岡伸一、西田哲学を読む』(2017年、明石書店)
では、シュレーディンガーの『生命とは何か』では、「すべての物理現象に押し寄せるエントロピー(乱雑さ)増大の法則に抗して、秩序を維持しうることが生命の特質である事が指摘されていた、との記述である。そしてここでとても大切なのは、物理学者だったルドルフ・シェーンハイマーの言葉として、同じ福岡氏の本にで提示された「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」という記述である。ここでの「絶え間なく」は即ち「瞬間瞬間」という意味が含まれていると私は捉えるものである。いかなる瞬間にも、「非生命(生物)的」な物質が無秩序な崩壊へと向かうなかでの生成がなければ「生命(生物)的」な個体性は成立しえない(上述のガードナーの意見を想起して頂きたい)。
 こうした「瞬間」を、上述の文脈での「思考の方向性」を「時間の向き」という事象に重ねる形において、私は考えたいのである。更に、予測のつかない「偶然性」の中での、上述の無秩序な崩壊をも考えたいのである。
 又そうした中で、カントが身体と空間、及び思考の方向性をめぐって、anzeigen(以下、azと表示する)とangeben(以下、agと表示する)いう二つのタームを使い分けているのではないか、という、かねてからの私の仮説の検証まで、ここでの私の考察が進めば幸いに思う。

  それでは考察を始めよう。
非視覚的ではあるが、否定的に、虚焦点として考えられるものが、理念としてある。少なくともカントのテクストにおいては特にそうである。
 今現在、「瞬間」とは、人間の言語行為、或いは線を引く、という形のことをされた上で、しかし否定的に<与えられたもの>、感性的直観において、与えられたものとしてある。
 無限空間が「与えられる」中での直観において、与えられる。
 更に視点を変えれば、意図的に、「能動的」に、作図したり、線を引いたりする中で、意図外部的に与えられるものごとがある。光が、感官において与えられる第三者であるように。

 ところで、私はここでの議論を始めるにあたって、「物体」についてを、「立体」としてここでは扱ってみよう。それは「身体」をも内含するものである。
 様々な位置から、無限な視点から、そうした立体は異なった見え姿がある。5秒前はここの位置から、5秒後はこの位置からというように。立体は無限の視点からの見え(姿)を簡単に作図する幾何学的方法がある。私が汎通的規定という時、そうした「物体」への視点とその立体形状、及びその幾何学的方法を考えている。その無限な見え方の集合として物体はある。そうした中に「否定」はある。例えば幅のない線とか、広がりのない点というように、「広がり」とか「幅」ということも、あるいは(例えば)ここの視点からは楕円であったのか、もう少し上からは円とか、そのような、~ではない、ここからは円だが、ここからは円ではない、というように「否定形」で考えられる何かがある。
 二点間にはただ一つしか直線は引けないか、何本も引けるか、この事も、引いてみる中で、そこに二本引けないか、幅がないとは、広がりがないとは、と理解できる。一本の線も、書いてからそれを視るまで微妙な時間差がある。しかしそれを書いてみることで、広がりのない「点」としての点時刻を理解することが出来る。一点では理解しえない、あるいは(過去として)振り返られる中で初めて理解される「今現在」ということも、線を引いてみて、引いてみる前、引いてから少したった後、そういったことの中で、そうした幅や広がりがない一点ということを理解出来る。それは「書く」という能動性と、書く中で視えてしまう受動性と、視る(視ようとする)という能動性が、入り混じっている事象なのだ。
 「点」にしても、物体にしても、そのようにして、ある理解をしようとすることについて、一度は否定されることを通じて、その集合として理解出来ることというのがある。幅がない、広がりがないという否定形である。
 カントが無限空間を制限する中で、二次元的な図形が規定されるというのも、無限の広がりを持つ空間への直観を持った上で、それから否定的に、そうした無限の広がりが「ない」という形で一つの図形を規定出来る。「瞬間」も、幅を持た「ない」線として、線形の時間において、理解される。線を書く中で、書いてみることで、「一点」では覆い切れ「ない」、無限に分割されていく「瞬間」を理解出来る。
 「外」に「形」として「線」として、立体として、何かを書く(能動的行為の)中で、そうした「瞬間」を、<否定的に>理解するのである。
 例えば無限空間への「直観」を持った上で、広がりの「ない」、二次元的広がりの「ない」点が、「ない」という形で理解出来る。又、点というものでも覆い尽くせ「ない」、「瞬間」の無限分割が理解される。それは感性的直観を持ち、かつ、そこから否定的な言明、概念、そこに必要とされる悟性をそこに一致させていくという、悟性と感性の一致があり、そこにこそ、私が今回に冒頭から言及したKrVの「理想章」の文脈での「親和性」はある。

 視覚を所有しない人間、言わば盲人が、外界を文脈的に理解する。例えば大「過去」のものは、直接視覚に「与えられて」おらず、いわば、それについて「盲目」である。しかしその上で、否定形を含め、概念として、外界の事を理解出来る。視覚が「ない」という形で、正に「否定的に」視覚によってとらえられるはずのものを受け取る。非視覚的、non視覚的なことも、正に文脈的に、否定形とはいえ、視覚的なものをとらえる中で、はじめて成立する。それも、言語的な「意味」の回路網において理解されるのである。視覚感官からとらえられる性質のものを、例えば全盲の人でも、意味的にとらえられる事をここでは考えると、分かりやすい。
 ここでのカントについての議論においては、ただ視覚モデルをめくらめっぽうに拒絶するのではなく、「否定」という事象を成立させる文脈的意味のネットワークにおいて、外界を、あるいは他者の意図を理解する事を得策とするのである。
 私はカントが、人間の認識について「視覚モデル」のみで考えようとしていると言い張りたいのではなく、正に「否定的」とはいえ、視覚的なものを、文脈的に理解する中で成立することがある、ということを言いたいのである。例えば<今現在>とか<瞬間>を、視覚的に表現することはできないとしても、しかし<できない>という否定的な形ではあれ、視覚的に表現することが、プロセスとして必要なのである。
 全盲の人に、「今」という瞬間を説明する時、その人の手を引きつつ、例えば砂の上に線を引いて、少し前、今、と何かの線を一緒に引いて、時間経過を体験してもらい、且つ、その線上の一点を通過する、というところに<時間経過>がある種現れる、としつつ、でも<瞬間>というのは、そうした線的幅、いや点でさえも覆え「ない」と<否定的>に表現する。たとえ、視えないものであっても、しかしまず視覚言語において、全盲の人に伝える中で、その中で「視えない」部分、事象を「否定形」によって伝えようとすることを、私は考えている。
 カントは視覚では覆えない認識の部分があることを十全に理解していたであろうが、しかしそれを<否定的>に、しかし積極的に、文脈的に、(意味の回路網的に?)取り込み、その中で、五感を含めた認識を考えている。そしてそれこそが、虚焦点とはいえ、<理念>として目指される<光>のように、視覚的にとらえられるものがある。むしろ、視覚では覆いきれないものを、その否定形において取り入れ、それを虚焦点として目指すところに、カント的な<理念>の一側面はある。
 視覚自体が、言語的に構成される面、又、非視覚的な感覚でも、「視覚」によってとらえられるものを<否定形>において(文脈的に)とらえられる中で、成立することがある、とまとめれば私はそう考える。

 そうした際の虚焦点としての理念を「示す」という事、あるいは又、カントにおいて、徴表(merkmal)としての概念のもとに含まれているものであるが、そうした「もと」にありつつ、暗示された徴表を目指す事、見出す事、又そうする事において、外界の事物を(直接)に指し示す事(視る事)、この二つの意味が重なった所に、anzeigenが使われる。そしてこの(そうした方向を)「目指す」という所に、「虚焦点」などの光と「視覚」についての比喩(類比・類推?)が見られる。
 一方で内包はカントにとって、概念が部分概念として、諸物についての表象の内に含むものだが、そうして内に含む、含んでいくこと(方向・領域)にangebenが使われている。直観から多様を受け取り、且つそれを掴み(begreifen)、概念(begriff)していく、それは人間が認識において或る瞬間の内へ含み、その瞬間を(幾何空間において)無限分割していくものであり、且つ、概念の内へ(<瞬間>も含めた概念の内へ)含んでいく事(implicate)、内へはらんでいく事(begreifen)、と共に「外」へと表示する事、これらの事にangebenは対応している。
 しかも冒頭に書いたように、anzeigenとangebenがペアになっている側面が、勿論その文脈にもよるが、あると思われる。azが外界の事物を指し示し、且つ「暗示」された概念としての「徴表」を目指すという事であったのに対して、agは、そうして指し示し、且つ目指すそのプロセスにおいてのratio(比例)、又その認識を成立させる条件・機能という事を、上述の概念が自らの内に含んでいく事に、重ねていくところにあると、私には思われる(左から右への線による線形時間を関数的空間において示す際の〈瞬間〉の表現という事も、ここでは私的には考えている)。

 以上の事の検討を、手始めにカントの『プロレゴメナ』第13節の、或る部分(鏡像の左右反転について書かれた)を、KrVの「弁証論付録」(以下「弁付」)での或る部分と関連付けて位置づけるところから始めてみよう。
次回の「『盲目』概念の視覚的意味」(2)は、改めてその事を中心的に取り上げるつもりである。

「ロゴスとピュシス」における親和性の位相について


 私は放送大学に提出した修士論文(以下、Aと表示)という概念において、「親和性(Affinität/Affinity)」への暫定的定義をした上で、カントにおける「親和性」の特徴について少し述べ立てたのであった。
 ところで、最近読んだ福岡伸一氏と池田善昭氏の共著『福岡伸一、西田哲学を読む-生命をめぐる思索の旅-』(明石書店、2017年・以下ではHNと表示)で有機体の個体性について提示されている或る表現が、私が上述の親和性の「特徴」で述べたことと共通する面があると共に、私がカントの批判期から晩年に至るまでの著作に感じていること、特に身体に関する辺りについては、すれ違う面もあるのだった。 
 又、今のところ余談ながら、私が以前から注目する多田富雄氏が自らの超システム論で述べられた、システム、ネットワーク、そしてプログラムそのものの崩壊と、福岡氏が自らの動的平衡論で物質とそのシステムの崩壊として述べられていることには、看過し得ぬ相違点があるとも思えるのだった。
 そうしたプログラムは、リニア(線形)時間を前提にした創作物であって、そうしたフレームを基礎とした上で、生命の動態を表出し得るかどうかという設問と共に。
 
 これら二つの相違点は、別々であるようでいて、実は繋がりがあるのではないか?私は今、そんな感触を持っている。それは上述のHNでも主題になっていたロゴス(論理)とピュシス(自然)の対立・対照に重なるとも思える。

 そして「親和性」の位相が、その対立の在り方によって変化するように思えるのだ。
 古代ギリシア、ローマ世界、中世キリスト教デカルトの機械論的自然像。これらそれぞれの自然観によって、何がどう「親和」するのかが変わってくるはずだ。
 人間にとっての神が親縁的で親和的とされることもあれば、広義の生命世界全体と人間が親和的とされることもあったはずである。更には、化学的親和力が科学的で精密に位置づけられるようになってから、そうした親和性と親和力の関係性も大切な問題だろう。
 そして、生命科学的に生命の個体性が定義されるようになってからの、生命世界と人間の親和性も、「個体」の定義の変更により、変貌するはずである。

 そうしたことについて、私はこれから少し模索してみたいのである。

 まず私が、上述の修士論文での(カント的文脈での)親和性についての記述を提示してみよう。

「・・・現時点で与えられる『親和性』への暫定的定義を与えておこう。親和性とは、悟性と感性を区別しつつも、その一致点を見いだすための根拠を示すものである。この或る種単純なことが、文脈を変えつつ、変容している。悟性と感性が『連続性』において或る種の段階を経てつながっているのではなく、区切りつつも接点を求める。お互いを区別しつつも、一致する根拠を示すものとしての<親和性>はある。」

 こう暫定的定義をした上で、私は親和性の形成が、以下の如く起きることを示唆した。

「 それは特に、外的感官を通して、与えられたものが内的感官を機能させるということにおいて、『外』から『内』へと向けられた視点と、『内』から『外』へと向けられた視点、こららが『分析論』と『弁証論』とそれぞれ(交互に)現れ、そのことが『親和性』の形成のダイナミズムそのものを生んでいることに通じている。『内に』含み、implikateしていくことと、それを展べ開く、explikateしていくことの交互の作用こそが、カントでの『親和性』を形づくるのである。」

 ところで上述のHNにおいて池田氏は「包みかつ包まれる」という表現を、細胞の外側と内側の間で起こっていることの表現として挙げておられ、又、ライプニッツの「モナドロジー」解説書でも提示しておられる。
 この包み包まれるは、私が正にカントがライプニッツモナド論を参考にしつつ書いたであろう、『純粋理性批判』の「理想論」の或る部分、即ち先月のこのブログで取り上げたそれにおいての親和性が、どう形成されるかを捉える為のimplicateとexplicateしていくことの交互作用と重なる部分があるのではないかと、私には思われるのだ。
 即ち、explikate、展開していくことと外部に包まれることが重なるのではないか?
 それは例えば、細胞が外側から包まれると共に外側の環境に展開することと言えるだろうか。
 しかし、こう書いてすぐに疑問が浮かぶ。「外部に包まれる」ことと、外へと「展開」していくことは、結構近いものがあると共に、果たして完全に同一であろうか?同時発生的であろうか?という疑問がである(又、上述の交互作用ということと、「かつ」ということにも、やはり相違点がある。ただ、そのような相違点があるにも関わらず、これらの一致点を認識することには意味があると私は考える。)。
 否、そうした「同一」についての疑問及び矛盾を克服する「自己同一性」への定義を模索することにこそ、ここでの課題はあるのではないか。
 即ち、細胞や生命個体の、内と外での「親和性」を考える上でも。
 ここで、上述の福岡氏、池田氏の紹介にも出した「個体性」についての現時点での暫定的定義を(「主体」への定義をも含めて)、それが極めて不十分であることを重々承知の上で、Aからの引用を振り返りつつ、与えておこう。

 個体とは、自己同一性を表出するための外的な記述及びそこでのロゴスによって、その性質が表されるものである。と同時に個体、及び主体とは、そうした自己同一性を表出しつつも、そこでの記述、ロゴスに留まらない自己規定をも、ピュシス(自然)における広義の外部との相関関係において表出する、あるいはされるもの、又はそうした中で他者であれ、外の「世界」であれ、何らかの「外」から何かを受け取り(把捉して)、又「同時」に「外」へと何かを発出すること、その過程で現れる相関関係の持続の(統一ある?)表象である。 
 さらにここでの「外的記述」とは、外的経験において外から与えられた事象を外へと記述すること、あるいはそのように記述されたものを言う。ここでの「外的経験」の形式は、カントの定義を借りれば「空間」である。又「身体」もそうした空間での外的な事象であり(例えば自分の心臓であろうと脳であろうとそれは外的な事象)、それを文字や数学的な記号、図形等の表現という外的な事象に表現可能なことばや記号、更にはロゴスにしていく、あるいはそうしたことばや記号、ロゴスによって記述すること、これが「外的記述」と言える。
 
 このような定義をした上で、急いで付け加えれば、ここで「自己同一性」をどう定義するかそのものが、それ自体として、検討に値することであり、この概念をただ突然何となく使用する、というのは早計であることを、私は十分に自覚している。
 自己同一性とは、個体性を有するものである、と言うと、循環論的な、トートロジーになってしまう。又、定義出来ないが、個体が自己同一性を持っていることを内含的に確認する現象を見いだすことを想定しても、では何が見いだせた時に、「確認」出来るのか。上述の個体の定義について、個体が自己同一性の現されるための外的記述により、その個体が自己同一性を表出するための外的記述によって性質が現される現象が確認出来た時、というのでは、単なる同語反復であり、<個体>の定義についての「真理」に到達し得たという根拠にはならない。

 それでは、どのような要件を、どのような位相、視点から満たし、規定(限定)した瞬間に、「個体性」の、あるいは「自己同一性」の定義に到達したと言い得るのであるか。
 言ってみれば、上述の難点がありつつも、カントは何とか「個体」(及び自己同一性)さらには「主体」についての定義をどこかに内含させていてもおかしくはない。その重要な手がかりが、カントがA版演繹論、「自分自身の汎通的同一性(Durchgangige identität)」について述べているところにある。そして正にそれと密接に関連する形で、カントは同演繹論において、「親和性」について論じているのである。

 ここで上述のHNで西田幾太郎がかつて紡いだテキストを元に提起されている「逆限定」という概念を取り上げてみよう。「逆限定」という概念は、今述べてきたトートロジー、循環論的議論が含み持つ矛盾を回避している可能性、あるいはそうした回避を行おうと意図しているとも思えるのだ。これまで私が述べた「規定」は、ドイツ語のbestimmungであり、「限定」とも言えるが故に。
 そして、「逆」ということが、逆向きの時間、因果性等とどう重なるかは、考慮から外せないからである。
 中島義道氏は『カントの自我論』(日本評論社、2004年・2007年に岩波書店岩波現代文庫に再収録された)で自らの自我論を論ずる中で、カントのテキストでの超越論的観念論は、現在から「過去」への向きの「想起モデル」において考えられているとことである。中島氏はそうしつつも、上述の西田の「無の場所」という概念を、「根源にさかのぼる運動が行き着く」「壮大なおとぎ話」の一つとして、否定的に捉えている。
 ここには、興味ある一致点と相違点が存在する。
 日常生活で普通に過去から未来に向けた時間とは、逆の時間が、「自我」や「自己」への規定において取り上げられる点、更には科学での線形(リニアな)時間(とその方向?)が設定される以前の、個体・主体の作用への考察を重んずる点では或る一致を示すが、「未来」の実在を前提とした上で、その未来から現在への時間の存在論的価値を認めるという点においては、中島氏は否定的であると私には思われる。
 なぜ、どのような学問的背景において、こうした相違は生じるのであろうか?そしてそこに、ピュシスとロゴスの相違と重複はどう反映するのか?
 
 ここで、今回取り上げたHNで、量子力学における観測問題をベースに、歴史は観測したときに初めて作られるのかについて論じられていたこと(P107)
を思い起こそう。
「木を切って年輪を見たときに初めて世界が作られている、というのが、年輪のほうから環境に対して作用をもたらしているということになるのではないかと思った」(福岡)
「ピュシスの中にもともとそういう逆限定があって、観測することによってそれが確かめられたというふうには理解できないでしょうか。」(池田)

 この、観測することで初めて作られる、制作されるということと、ピュシスの中に逆限定があって、観測においてそれが確かめられたということ。この中での時間・位相の考え方の差異が、上述の相違に影響している。
 (ロゴスによって?)制作することで初めて(過去から?)立ち現れる時間と、ピュシスにおいてもともと逆限定があり、それを観測で確かめると共に、そこに発見される時間の作用という対照においてである。

 これらの微妙な差異がHNでの時間観と中島氏のカント論での時間観の違いで効いているのではないか。

しかしいずれにしても、冒頭で取り上げた線形時間を前提にしたプログラム観に距離を置くことでは共通しているか。

 こうした諸観点からの「距離」を考慮に入れつつ、冒頭での、「プログラム」問題や、上述の「包みつつ包まれる」と「内含と展開」の差異の問題を、「親和性の位相」をめぐって(今回の始めの方に書いた、自然観の歴史での「親和性」の変貌への認識を踏まえて)考えることは、今後の重要課題である。